(36)A.akeの場合昭和59年12月、◯と結婚(H1.3離婚)平成1年7月、◯と結婚(H11.6離婚)夫婦とは名ばかりでした。 よりによって二人の元夫達は賭博借金の名義を貸さない私を暴力で縛りつけたのです。 口答えすれば殴られ冬でもサングラスは外せない私は二人のおもちゃだったのです。 平成5年10月、とうとう私は◯の暴力に屈しクォークから20万借金しました。 また、その怯えからくるストレス発散は日本信販のショッピングでした。 やがて平成6年7月以降、◯(8万)収入も◯に吸上げられ、 平成11年6月、私はゴミみたいに子供達の目前で殴られ捨てられたのです。 翌月、◯(8万)の上司、◯とお付合いを始めました。 もう男には懲りたはずなのに優しさに負け平成13年4月結婚(H18.12離婚)しました。 でも、優しさは見かけだけでまた暴力と借金に振回されたのです。 平成17年11月、 ◯(8万)の給料は完全歩合制で, ノルマ達成しなければ満足な手取を得られません。 私は競争社会のなかでノルマ達成のため不必要な商品を購入 (日本信販5~12月迄4回666.077円。クォーク10~12月2回708.000円)したのです。 この実情を◯に相談したくても手取13万(リホーム)で働く暴君では喋れず、 あげく内緒のストレスを解消するため逆にまた買物(武富士50万、プロミス20万借入) するという悪循環を繰返したのです。 平成18年2月、◯の嫉妬とバレた借金で激しい殴る蹴るの暴力をうけました。 それでも気の収らない◯の錯乱は台所の包丁で私を追い回したのです。 逃場を失った私は恐怖のあまり2階のベランダから飛降りました。 目覚めたのは◯病院で、意識不明のまま手術(脊椎粉砕骨折)したのです。 病院の費用80万円は◯が金策しましたが、退院後(別居)返済を迫ってきました。 結局これが原因で平成18年12月、離婚(慰謝料は0)しましたが、 くどい取立に相前後してUF信販に連絡、 ビデオ商品買取りでクォークローンを組み95.680円を受取り 5万だけ◯に支払い残金は生活費に使いました(15ページ参照) その後、一人で頑張りましたが収入は乏しく、 平成18年9月からの慣れないBAR勤め(10万)も借金支払いには遠く、 やむなく客から援助を10回うけました。 だがそんな不純な男女関係も長くは続かず19年5月、 楽天KCで一本化の相談をしました。 結果170万円借入して日本信販、クォーク、武富士、プロミス、日専連を完済しました。 お金がなくても衣装を揃えなくては仕事にならないというBAR勤めは、 バカな意地とミエを毎晩くりかえす女の修羅場、それは矛盾だらけの世界でした。 一人でも多く自分のお客を捕まえるために40という歳が邪魔をしましたが、 むりな厚化粧で笑顔をふりまき、イヤなことされても心で泣くのは 借金返済という焦りからだったのです。 でも、月10万ではどうしようもありませんでした。 しかも脊椎粉砕骨折の後遺症とストレスからくる胃腸炎で胆のうが萎縮、胆汁が 逆流して嘔吐(◯クリニックに通院中)するのです。 平成19年7月、借金返済のやりくりに精神的に疲れてきました。 私の婚姻、家族関係をみれば一目瞭然、複雑なうえ誰一人と相談する相手はいません。 4人の子、さらに孫と笑顔で会うことも叶わず幸せなんて縁遠いものと感じています。 でも、私はこのまま情けない人生では終りたくないのです。 なんとか出直しもう一度、女として強く頑張って生きてみたい。 それができるかできないかではなく、そうしたいのです。 それには現状の収入11万円で生活費11万円、約定支払い6万5千円は不可能なのです。 更年期障害がひどく眠れぬまま朝を迎える昨今、いっそこのまま死のうかと考えました。 しかし、脊髄を6本のボルトでつないだ身体で暗くこのまま借金返済に苦しむより、 自己破産して明るく生きる方が正解だと結論したのです。 以上が破産手続開始申立てを考えるようになった経緯です。 どうか私に残りの人生、希望を与えてください、お願い致します。 上記は自己破産申立書P10~11の真実をfiction的に要約転記したものです |